当時の日本のオープンソース開発事情

回覧されたテープから、ソフトをインストールするには、開発環境が異なるため、容易ではなかった。 UNIX MAGAZINEなど雑誌の情報は遅すぎた。そこで、活発に利用されたのは、NetNewsである。インストールのノウハウを交換するニュースグループが日本国内でも開設された。日本国内で解決されない場合は、米国のニュースグループも利用した。

日本国内では、日本語対応において、様々なグループが貢献した。日本語入力システムのEgg(たまご)は当時の電総研が、仮名漢字変換サーバーは、オムロンWnnオープンソースで作った。東北大学SKKを開発し、私も愛用した。私の当時の同僚の高橋裕信氏は、SKKからKAKASHIという漢字から読みがなを振るソフトをオープンソースで作っている。

日本語環境以外では、画像処理のソフトウェア分野で、キャノンがVIEW Stationという開発ツールをオープンソースで作って配布し、私も恩恵を得た。現在広く使われるOpenCVと同じ分野のソフトである。

古くは、フリーソフトという範疇かもしれないが、ファイル圧縮ソフトのlharcは1988年に配布開始されたらしい。当時は、パソコン通信という場で流通された。

私自身も、仕事の合間にX Window Systemの日本語端末ソフトであるKtermを改良して、当時のDigital Equipment Company(Compaqに買収)が利用するDEC漢字コードに対応したソフトを開発し、社内で配布したりした。

いずれもインターネットが世の中に広く普及する1995年より前の話だ。それ以降でも拡張現実感(Augmented Reality)の開発ツールであるARToolkit奈良先端大の加藤先生)は日本発の開発環境として、その分野では著名である。(追記:産総研が開発しているロボットシミュレーターのOpenHRP3オープンソースである。)

Linuxを含むUNIX上で開発する開発者がオープンソースとの関わり無しでいるのは、ほとんど不可能で、開発者は日々、その恩恵を得たり、貢献したりしているのが実情だ。かちんと来たのは、この分野の人であろうと想像する。