北米での開発

1995年から1997年の2年間は、大学で開発した。当時利用した画像処理開発環境は、VistaというUniversity of British ColumbiaのDavid Lowe先生のつくったソフトだ。ソースは公開され、改変が自由であった。私の恩師の大学教授も、顔認識用データを公開するなど、オープンな開発環境の促進には積極的であった。大学のファイルスステムは、オープンになっている Andrew File System が利用された。学生がインストールしたオープンソース開発環境は、積極的に研究室で情報交換があった。

オープンソース以外でもオープンソース的知の協力は日本とは違った。2年滞在した最初の1年は、自分の事務所に計算機を置いてもらえず、共有エリアのワークステーションで他の学生と交わり、カジュアルな議論をするのを推奨された。他の大学の先生や著名な卒業生が来校するとオープンなセミナー形式で最新研究例を話すのが、常だった。Sun Microsystems社のJames GoslinやToy Storyのグラフィックスを担当した Ralph Guggenheimが来た際は、講堂が学生で一杯になり、教授たちが焼きもちを焼く程だった。

情報を入手するには、提供するべしという文化を肌で感じた。当時、日本から滞在にくる人向けのサバイバルマニュアルである「ピッツバーグ便利帳」を、大学の内外の色んな人とネットを通じて共同編集し、Webで公開したのも、そういう環境だったからかも知れない。こういう環境の違いは、なかなか言葉では伝わりにくい。