「スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン」発売 - 日米プレゼンの違い

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン

Apple社の創業者・CEOスティーブ・ジョブズのプレゼンの秘密を書いた本(日本語訳)が発売され、注目される。発売のその日にAmazonの売れ筋で2位まで浮上した。その夜、解説を書いたシリコンバレー在住の起業家で元アップルジャパンマーケティング本部長の外村 仁さんと、長年、Apple社やその製品について本を書かれているジャーナリストの林 信行さんのトークショーが開催され 、私も、そのUstream (インターネットのビデオ配信システム)を聴講し、感銘を受けた。そこで、私がこれは!と思うプレゼンや対談を紹介し、日米のプレゼンに関する考えの違いを考えてみる。

スティーブ・ジョブズは、Apple社の新製品を紹介するキーノートスピーチで、完璧なプレゼン(デモを含む)を行うので有名だ。直近では、2010年6月に開催された Apple World Wide Developers Conference に於いても無線LANが混雑し、デモが失敗する中、聴衆の協力を得て、難を逃れたのは、さすがである。また、スタンフォード大学で行われた以下の卒業式のスピーチは、感動的なものだ。

スティーブ・ジョブズは別格としても、米国では、とても上手な講演を聞く機会が多い。米国の研究者の多くのプレゼンがそうだ。私の恩師であるカーネギーメロン大学金出教授もその一人。彼の講演は、公演と書いた方が良いのではと思うくらい、聴衆を惹きつける。起業家たちもそうだ。TEDと呼ばれる会議での起業家たちのプレゼンのうち、私が心を打たれたのが、次のビデオだ。話題は手術用ロボットであるが、そのクロージング(17:00頃から始まる)は人生とは何かを考えさせられる。タイトル画面はショッキングな映像だが、導入部(7:40まで)とクロージング(17:00以降)だけならば、見なくて済む。製品の機能紹介ではなく、その技術の歴史的・社会的価値を物語っている。なお、TED Talksは良いプレゼンの宝庫で、Podcastでも見ることができる。

また、最近見たビデオでは、フランス人であるが、日本人には馴染みの深い、日産ルノーCEOのカルロス・ゴーン氏である。以下のビデオはスタンフォード大学のビジネスコースでの対談である。そこには、リーダーシップとは何かの鍵がある。対談なので、周到に準備されたプレゼンではないのだが、理念・信念を語るための道具が日頃から準備されている。例えば、"Identity is the basis of motivation."などの文。


米国(あるいはグローバル企業)で高いプレゼン技術を持つ人が多い理由は、その必然性があるからだ。プレゼンが上手くないと生きていけない。米国の大学の研究者は "Demo or Die"あるいは "Publish or Perish" といわれ、研究成果を上手く伝えなければ、研究資金もポジションも失ってしまう。また、ビジネスの世界でも同様だ。Venture Conferenceという会議では、ベンチャー企業のCEOが、資金獲得のため、ベンチャー投資家やエンジェル投資家たちの前で、ビジネスプランを10分間でプレゼンする。昔あったテレビ番組の「スター誕生」のようなシステムである。未だ製品ができていない技術の先進性とビジネスプランを話すので、中身2割、プレゼンの出来8割といった印象である。一般の就職の際も、履歴書は主に足切りに使われ、面接(インタビュー)が重視される。その機会に自分の持ち味をアピールする必要がある。なので、プレゼンに対する意気込みが違うのである。

教育、訓練方法が充実している点も異なる。私が行った東海岸ボストン大学ビジネススクールでは、プレゼンの講義もあり、ビデオ撮影を利用した評価も行われた。実際にエレベータートーク(1分間スピーチ)も練習させられた。起業の授業では、スティーブ・ジョブズがNeXTの社員に対して行ったビデオをみんなで見た。さらに、普段の授業では、class participation (授業への参加度合い)が重視され、短い時間で自分の考えを話し、教授や他の学生を納得させる練習を繰返し行う。研究者もプレゼンの訓練に余念が無い。金出教授の一番弟子と呼ばれ、ひと際プレゼンがうまいとされるコロンビア大学のNayar 教授は、学生時代、博士課程の忙しい合間を縫って、 Drama (演劇)の授業をとっていたと聞く。

一方、日本の(特にメーカーの社内での)プレゼン方法は、特殊である。一枚のスライドに文字を詰め込み、印刷物としての役割も兼ねるため、メリハリがあまり効かない。聴衆を惹きつけるエッセンスがほとんど無い。そのプレゼン方法を、社内だけに留まらず、国際会議での研究発表や、日本以外の会社へのプレゼンに持ち込むと、相手へのインパクトが非常に薄いものになってしまう。米国の国際会議では、聴衆は、講演中でもお構いなしに、部屋を出ていってしまう。会社でのビジネスのプレゼンでは、時間を無駄にしたと言わんばかりに退屈な表情を見せられる。

今後、交通、通信の発達に伴い、グローバル化が進む中、他の国の異なる文化を持つ様々な人々をも惹きつけるプレゼン技術の重要性は、増すばかりであろう。この本が、その獲得の一助になるのは間違いなさそうだ。

映画「アバター」の3D技術 - Avatar IMAX 3D

James Cameronが監督(タイタニックターミネーターで有名)し、3D業界が最も期待する「アバター」が公開された。アメリカでは、12月18日、日本では12月23日のことである。筆者も12月25日にわざわざ箕面IMAXシアターまで出かけて、見てきた。これは凄い!期待以上の出来栄えである。この映画ならば、家の3DTVで、何度でも見たいと思わせた。

James Cameronの動きは、思い起こせば、1996年の冬、フロリダのUniversal Studiosで見た Terminator 3Dから始まっていたのだろう。もう13年である。そして、遂にこの日が来た。この映画は、3D映画を大きく普及した映画として、今後、語り継がれることになるだろう。

映画館のデジタル化と3D

3D映画ブームは、歴史的には今回が3回目になるらしい。今回のブームは、以下の3つが原動力である。

  • デジタルシネマ
  • 三次元コンピュータグラフィックス
  • コンテンツ

これらの切り口から、今の3D映画ブームを眺めてみたい。

デジタルシネマ

現在、街の映画館は、徐々にデジタル化されつつあるのをご存知だろうか。アメリカではDigital Cinema Initiativesという団体ができて、全米3万8千のスクリーンをデジタルプロジェクターに置き換えつつある。このデジタル化の際に3D化するのは、従来に比べコストが低く、すでに数千スクリーンが3D対応と聞く。

デジタル化や3D化を支える技術はTexus Instruments社(TI)のDLPRealD社の偏光技術である。

プロジェクターの前に円偏光板(Z-screen)という頭をかしげてもズレのない偏光方式の板を設置し、時分割で左右の眼に入る映像をスイッチングする。映画は、通常24フレーム/秒であるが、3Dでは、左右のぞれぞれの目に対する映像を72フレーム/秒、時分割し交互に表示(合計144フレーム/秒)する。3Dでは、この周波数以上でなければ、左右の映像がうまく融合されて、立体感が得られないと言われる。

TI社のDLPは、高周波スイッチングデバイスであり、この用途にバッチリはまったのである。なお、米国では、DLPを用いたリアプロTV(サムソン製や三菱製)がいち早く3D化された。

同様に家庭用では、動作周波数応答の高いプラズマディスプレイが有利である。パナソニックが3Dに力を入れるのは、このためである。ソニーなど、液晶で対応したものをCEATECなどで展示しているが、原理的に不利なのは否めない。

なお、RealDの技術はメガネが安価である点が長所である。ワーナー・マイカルシネマなどでは、3Dメガネは持ち帰り可能である。液晶シャッター方式(赤外線で同期)では、XPand社のメガネが使われ、高価なため、毎回、回収される。これら方式の解説は、こちらのページが参考になる。

3次元コンピュータグラフィックス(3DCG)

1995年のToy Story(初めてのフルCGアニメーション)以降、アニメーションを3Dコンピュータグラフィックスで作成する技術が急速に進歩した。これらの映画は、3Dモデルを内部に持っているので、左右の眼の映像を作成するのは、いとも簡単である。ちなみにToy Story 3(3D版)が来年6月18日に公開予定されている。

なお、Toy StoryのCG製作を指揮したのは、Ralph Guggenheimという人で、カーネギーメロン大学出身である。同大学はコンピュータサイエンスとアート(Andy Warholなど)の学部が著名である。私が2年間滞在した際(1995年〜1997年)にGuggenheim氏が母校で講演をし、通路まで学生が溢れ、教授たちが嫉妬したほどだった。

SFXなど、実写とCGとの融合では、3Dモデルが利用される。このモデルが3D表示用の左右の目の映像作成に利用される。これらの3D用CGツールが急速に準備されている。なお、Intel社も勝機と見て、レンダリング性能をアピールしている。

コンテンツ

従来の3D映画は、ホラーなど、3Dの特殊効果に頼るコンテンツが多かった。今回のブームでは、Dreamworks社(映画製作会社)のJeff Katzenbergなど映画を製作する人たちが3D映画を強力に進めようとしている。(Katzengerg's 3D Revolution)同社は、最近では、"Monsters vs Aliens"を公開したばかりだ。

この動きに賛同する監督には、James Cameron や Steven Spilbergなどがいる。実際、Star Warsの3D化の作業も行われていると、コンピュータグラフィックスの学会・展示会であるACM SIGGRAPHでは報告されている。(同時にスピルバーグは気まぐれという噂もある。)なお、今のブームの最初の火付け役となった作品は、ディズニーのチキンリトルで2005年公開である。

従来と製作方法が違うのは、3Dの奥行き感も含め、監督が指揮する点である。従来は、特殊効果担当者が、「これでもか」的に奥行の深いシーンを多用したが、それが、現在、全体のストーリーの中で、自然な奥行き感を入れるようになった。このため、従来よりも疲れない作品に仕上がっているものが多い。

映画製作会社と家電メーカーの思惑

映画産業は、インターネットやTVゲームなど他の娯楽に押され、業績低迷が続いている。DVD販売で稼いだビジネスモデルを、HD DVDBlu-Ray Diskで再びという計画があまりすすんでいない。観客を劇場に呼び戻す大きな仕掛けとして3D映画がある。

家電メーカーは、この劇場の3Dの感動を自宅に持ち込む機器を販売したい。それが、3DTVとプレイヤーである。パナソニックは、今年1月からBlu-Ray Disk Associationという普及団体で、3Dフォーマットの規格化作業を率いている。ディスクに左右の映像を一枚ずつ並べて記録する形式で"Side-by-side"と呼ばれる。他の方式には、"Checker Pattern方式”と呼ばれ、画面を格子状に分割して格納するものもあり、Dolbyが支持する。

2009年1月のラスベガスでのCEショーや、2009年10月のCEATECでは、各社、こぞって3DTVを展示した。(CEショーのまとめ)この「アバター」をきっかけに、一気にブームを本格化したい考えだ。さて、この不況の中、この3D技術は、普及するのか。皆さんのアバターの感想はいかがなものだろうか。

勝間和代×香山リカ(アエラ)を読んで

いつもの記事と違い、今日は、幸福論。雑誌アエラの特集、勝間和代×香山リカの読書感想文だ。

きっかけ

普段、車で通勤する。故に電車の雑誌の中吊り広告はあまり見る機会がない。この特集は、twitterミニブログ)で知った。しかも、信頼高い筋の情報で、「即買い」とある。買いに走らねば。

で、帰宅途中の本屋やコンビニを探すが、アエラがない。フライデーやフラッシュはあるのだが。4件目で無事ゲット。家の近所の人は、アエラなんて読まないらしい。

香山リカさんって

最初、香山リカさんは、アイドルタレントかアイドル歌手と思っていた。(なんとかリカっていた気がする。誰だっけ。)ところが、37万部のベストセラー「しがみつかない生き方」で、「<勝間和代>を目指さない。」と言った人。不勉強でその本は読んでいないが、主張はわかるし、その本が話題になっているのは知っていた。

勝間さんとの出会い

勝間さんは以前から知っていた。割に最近だが。書店でキャッチーな新書のタイトル「会社に人生を預けるな」。家に帰ってみると、似たような本が。「銀行にお金を預けるな。」あー、同じ著者だ。という感じで、最初は、有名人と良く知らず、たくましいお姉さんって感じで捉えていた。

急に親近感が沸いたのは、今年7月、勝間さんがNYC出張先からのTwitterデビューしてから。色んな人を巻き添えにして、使い方を次々と吸収、共有して行く。理科系並にガジェット好き。Eye-FiKindleなど、僕が調査目的で持っていたガジェットを次々と購入。何だか同じ匂いがする。

で、その人柄を示すのは、交遊関係。広瀬香美さん(作曲家)がお友達とは!これで、僕の中で一気に好感度と親近感がアップした。そんな中、今回の記事を読む事となった。

コーチ VS セラピスト

僕はテニスが好きで、試合に出たり、プロの試合を見たりする。テニスの試合は人生の縮図のように思える。

トーナメントでは、一人しか勝ち残れない。128のドローでは、勝者は一人、敗者は127人。優勝者以外は、全員、自己嫌悪に陥る。コート脇で涙を流す選手を何度、見た事か。プロはこれを毎週のように繰り返す。

ハードなテニスツアーを乗り越えるのと同じように、人生の荒波を乗り越えるには、コーチとセラピストがセットで必要だと思う。コーチは、何をどのように目指すべきかを示し、選手をプッシュする。セラピストは、うまくいかない時に自分を攻めすぎないようにいたわる術を身につけさせる。

答えは?

後の白黒ページでの編集者の記事にあるのだが、読む前から答えは分かっている。両方とも必要だし、両方とも補助でしかない。自分の人生、自分が「幸せだ」と思う時間の使い方ができれば、それ以上ないだろう。

価値観は、時代と共に変わるし、自分の年齢や家族の状況や職場環境など、多くの要因に左右される。その時々で自分を見つめ、時には自分を励まし、時には慰め、探って行くしか無い。

感想

勝間さんが被告人のように尋問形式で進むのは、ちょっと攻め過ぎでないの?(カツマーとしての意見)
日経 VS 東スポとは、うまいなぁ。でも、空費70%で大学教授になれるならば、それもまた、そんな良い人生ないのでは?香山さんの<勝間和代>的部分も見てみたい。きっとあるはず。

勝間さんの<香山リカ>な側面は、しばらく、一般の人には見せないでいてね。

さて、皆さんはどのように感じたのだろうか。

RE: 日本の家電メーカーが出す商品はなぜ”もっさい”のか

Wa-ren さんのブログに面白い問題提起があった。

なぜ、”もっさい”かの以下の理由について、同意する。

なぜか。大手家電メーカーは大変大きな企業体なので、マスのなかのマスを相手に商売をすることを前提にした組織体系・意思決定機構になっている。

で、可能性については、若干、補足したい。

日本の大手家電メーカーの製品でも、未だ会社幹部があまり深く関わってこない、新規ビジネス、新製品ならば、可能性はありそうだ。

初期のデジカメビジネスや初期のゲーム機ビジネス(SCE Playstation)、最近では、新しい家電文具(Pomela)などである。デジカメビジネスにいち早く飛びついたメーカーは、当時の8ミリムービービジネスの負け組であり、会社幹部からは、あまり何をしているのか、気にされていなかった。なので、結構、好きなことをしていたようだ。

もう一つのタイミングは、そのビジネスから撤退するかどうか、瀬戸際に立たされた時に出てくる起死回生の製品。リコーのデジカメであるGRシリーズは、そういう位置づけではないだろうか。とても素晴らしい製品だ。

大きな顧客層に大量に売れる製品を作るプロジェクトは、特定の顧客セグメントに訴える製品を作る必要性はあまりない。なので、無難な製品が出てくるのは当然。会社幹部も安定ビジネスを好み、一々、関わってくる。俺の手柄だ、口だすな、と主張したいかのように。

差別化や製品の明確なポジショニング、あるいは、全く新しい機能を消費者に訴える必要がある時、日本の大手家電メーカーからでも「これは!」という製品がでてきたりする。

大志のある有能な社員は、こういうプロジェクトに鼻を効かす必要がありそうだ。会社幹部の手が届かないうちに、好きなことをやってしまおう。ただし、こういうプロジェクトの数が減ってきているのが、一番の問題かも知れないが。

日米オープンソース事情のまとめ

ソフト開発者からすると、知の協力を促す場は、古くはパソコン通信のフォーラムからNetNewsがあり、オープンソースもあるのに、その土壌はゼロと言われると反論したい気持ちは、開発者の立場としてよくわかる。一方で、米国並の世界発信に少しでも近づくように、より発展して欲しいというメッセージもよくわかる。(追記(6/22):梅田さんの日本への愛情は、同じ記事のに溢れている。「出る杭は打たれる」日本文化には私も同感。)

「故郷は遠くにありて思うもの。」私も合計6年以上、米国に住んだ実感だが、日本を離れると、みんな、何とか日本のために貢献したいという気持ちが強くなるようだ。そこに、双方に誤解が生じるのは、残念に思う。

日本と米国の違い

日本のソフトウェア開発は、日本語処理の開発がまず最初の対象となりがちで、世界発信という点では、ある意味ハンディかも知れない。

Ruby, lharc, あるいはARToolkitなど世界発信しているソフトもあるので、オープンソースの土壌がないと言い切られると辛いが、EmacsX Window System、最近では Android などのヘビー級のソフトと比較されると、それも辛い。

北米での開発

1995年から1997年の2年間は、大学で開発した。当時利用した画像処理開発環境は、VistaというUniversity of British ColumbiaのDavid Lowe先生のつくったソフトだ。ソースは公開され、改変が自由であった。私の恩師の大学教授も、顔認識用データを公開するなど、オープンな開発環境の促進には積極的であった。大学のファイルスステムは、オープンになっている Andrew File System が利用された。学生がインストールしたオープンソース開発環境は、積極的に研究室で情報交換があった。

オープンソース以外でもオープンソース的知の協力は日本とは違った。2年滞在した最初の1年は、自分の事務所に計算機を置いてもらえず、共有エリアのワークステーションで他の学生と交わり、カジュアルな議論をするのを推奨された。他の大学の先生や著名な卒業生が来校するとオープンなセミナー形式で最新研究例を話すのが、常だった。Sun Microsystems社のJames GoslinやToy Storyのグラフィックスを担当した Ralph Guggenheimが来た際は、講堂が学生で一杯になり、教授たちが焼きもちを焼く程だった。

情報を入手するには、提供するべしという文化を肌で感じた。当時、日本から滞在にくる人向けのサバイバルマニュアルである「ピッツバーグ便利帳」を、大学の内外の色んな人とネットを通じて共同編集し、Webで公開したのも、そういう環境だったからかも知れない。こういう環境の違いは、なかなか言葉では伝わりにくい。